「kotonoha 言の葉」気づきと学びの研究所 / shironeko

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今日、あなたはどんな一日を過ごしていますか?

時間に追われたり、困難な出来事に頭を悩ませたり、さまざまな気分に振り回されながらも、

 

何とか今日一日を過ごそうと、夢中になっているのではないでしょうか。

私たちは、日々を生きることに精一杯です。

どんな生命であっても、「生きる」ということはものすごく大変なことです。

生きることは「終わりなき戦い」です。

必死になって何とか生きているのが、私たちの毎日だと思います。

そうまでして私たちが生きているのはなぜでしょうか?

それは、「幸福になりたい」と思っているからでしょう。

誰であろうと、どんな生き物であろうと、生命は幸福になりたいのです。

 

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ナポレオン・ヒルの名言

挑戦

もし、あなたが負けると考えるなら、あなたは負ける。
もし、あなたがもうダメだと考えるなら、あなたはダメになる。
もし、あなたが勝ちたいと思う心の片隅でムリだと考えるなら、あなたは絶対に勝てない。
もし、あなたが失敗すると考えるなら、あなたは失敗する。
世の中を見てみろ!
最後まで成功すると願い続けた人だけが成功しているではないか。
全ては「人の心」が決めるのだ。
もし、あなたが勝ちたいと考えるなら、あなたは勝つ。
向上したい、自信を持ちたいとあなたが願うなら、あなたはその通りの人になる。
強い人が勝つとも限らない。
すばしっこい人が勝つとも限らない。
私はできる、そう考えている人が結局勝つのだ。

ナポレオン・ヒル博士

 

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願望を信念化し、潜在意識の力を導き出すマーフィー理論

あなたが習慣的に考えていることは、何でも潜在意識の中に沈み込み、この潜在意識はあなたの思考の性質に応じて反応を起こします。
あなたの潜在意識は感情の源であり、また創造力の湧き出る源でもあるのです。
良いことを考えれば良いことがそれに従って起こり、悪いことを考えれば悪いことが起こります。
それは心身の健康についても同じです。
あなたの人生は良くも悪くも、自分が心に思い描いたとおりになります。
そしてあなたが本当にそう願い信念化するならば、潜在意識の力が導き出され、必ず目標は実現されるのです。

ジョセフ・マーフィー博士

 

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慈悲の瞑想

仏教を実践するうえで土台となる心を育てる

慈しみヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。

人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。

区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。

簡単に言えば、この「私」という実感さえなければ、問題は何もないのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触れたら「私は寒い」というように、簡単に「私」という主語は出てきますが、しかしそのことは大問題なのです。「私」がいるから「他人」がいて、だから人間関係が悪くなったりする。「私」がいるから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなる。例えばこのように、問題が生じてきます。

そこで、なぜ「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても、実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れるものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。

また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行ってください」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しているのです。

ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは大変必要な条件になります。

どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている…ということは重要なポイントなのです。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。

慈悲の瞑想の実践方法
次に実践ですが、ここでは「すべての行動は心に基づく」という法則を用いています。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあるのです。

「慈しみ」を実践するのにもっとも簡単で早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことです。

道徳やきびしい戒律を守ったり、困っている人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったらそれほど意味がないし、あとで疲れたり、嫌になる可能性さえあります。でも心が「慈悲の心」になってさえいれば、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいものに変わるのです。

ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいのです。

それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることです。それができた瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてきます。例えば、何か問題にぶつかっている人を励ましたい場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにしてもらったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだろうか……というように、相手の立場を自己に投影してみるのです。

それを上手くやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなりません。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にず~っと反復して言い聞かせてやればよいのです。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになります。

この「慈悲の瞑想」は、「ヴィパッサナー」とは違い、伝統的なごく普通の瞑想法ですから、ある意味では入っていきやすい実践だとも言えます。しかし、この慈悲を念じる実践は、決してヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、すべての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じているのが望ましいのです。

まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。「幸せ」とはなんですか?と考える必要はありません。幸せとは少なくとも良いことでしょう……というふうに大雑把に理解しておけばいいのです。

次に「私の悩み苦しみがなくなりますように」「私の願いごとが叶えられますように」、そして私達はいちおう仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れますように」でもかまいません。

二番目には、さきほど出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい生命」、いちばん幸福になって欲しいと感じる生命がいますから、その生命(自分の子供や両親、友人、身近な生命、動物、鳥、魚、昆虫、その他‥)のことを同様に念じます。

そして三番目に、やはりすべての生命が幸福であったほうがいちばんありがたいことだと思って、それから努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じます。

この三段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていきます。言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。(何人かで一緒に実践するときは声を出して唱えることもありますが、一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません)姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じてください。

 

『慈悲の瞑想』の言葉

私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように

私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい生命の願いごとが叶えられますように

私の親しい生命に悟りの光が現れますように

私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

*2016年秋より、これまで「人々」としていた言葉を「生命」に置き換えて慈悲の瞑想をいたします。

これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。 次は、自分が嫌いな生命、苦手な生命のことを思い浮かべます。嫌いな生命のいない人はまずいないはずですから、それらの生命を心に思い浮かべて、 それらの生命のために「慈悲の瞑想」を実践します。 さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる生命のことを思い浮かべて、それらの生命にも「慈悲の瞑想」を実践します。

私の嫌いな生命が幸せでありますように

私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように

私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

そして最後にもう一度、

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。 そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。 特にこれは持続して実践するということがいちばん大切なことです。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくのです。

回向の文
仏法僧の三宝に礼拝、帰依し、戒をまもり、慈悲の瞑想と、ヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。
この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。
そして、解脱が得られますように。

ご自分でなさる時、慈悲の瞑想を一通りしてから、ヴィパッサナー実践を行い、終わって時間があればもう一度簡単に慈悲の瞑想をして、最後にこの回向の文を唱えます。やはり、唱えるならば静かに一句一句に心を込めて、そのつもりになってとなえてみてください。

 

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慈悲の瞑想フルバージョン

私は幸せでありますように

私は幸せでありますように。

私の心に現れる悩み、苦しみが徐々に消えていきますように。

怒り、嫉妬、憎しみの感情は人の心を苦しめます。

苦しみである怒り、嫉妬、憎しみが、私の心に起こりませんように。

怒り、嫉妬、憎しみの妄想を育てないように努めます。

私の思考が慈しみの思考になりますように。

私は「物事が常に変化して消え去るものである」と観察します。

私は過ぎ去った出来事に囚われないように精進します。

私は将来のことに執着して悩まない、不安にならない人間になります。

私は今ここで、するべきことに集中します。

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように。

他者に対して、優しい心で対応することができますように。

私のこころに、他を差別する気持ちが現れませんように。

苦しい状況に遭遇しても、忍耐することができますように。

私のこころが、常に平安でありますように。

私のこころの汚れが、徐々になくなりますように。

私に、ありのままの事実を発見することができますように。

私に、真理を発見する智慧が現れますように。

私に、一切の現象に対する愛着がなくなりますように。

私に、悟りの光が現れますように。

全ての生命は兄弟

私は、全ての生命が私の兄弟であると思えるように精進します。

私は、全ての生命と私が平等であると思えるように精進します。

私は、全ての生命の幸福と繁栄を期待します。

私は、生命の間で調和が保たれるように精進します。

私は、釈尊の言葉を念じます

私は、釈尊の言葉を念じます。

無始なる輪廻のなかで、私の母でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の父でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の兄弟でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の子供でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の友人でなかった生命はいません。

釈尊の戒めを尊とうとんで、一切の生命に慈しみの気持ちを抱きます。

すべての生命は私自身の父・母であると思います。

すべての生命は私自身の兄弟であると思います。

すべての生命は私自身の子供であると思います。

すべての生命は私自身の友人であると思います。

すべての生命は私自身の家族であると思います。

すべての生命は幸福でありますように。

こころは空気のように

空気と空気が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

水と水が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

太陽の光が、地球の隅から隅まで照らすように、

私の慈しみの光が、

全ての生命のこころをさまたげ無く照らせるように、

制限無く、慈しみを育はぐくみます。

東・西・南・北・上・下という六方に住む生命に対して、

無限に、とどまること無く、慈しみを育みます。

心は大地のように

大地は、如何なる清らかなものを捨てても、

如何なる不浄なものを捨てても、喜ぶことも嫌がることもありません。

私も、他の生命の賞賛・非難などを受ける時は、大地のようなこころを保ちます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

皆、業を相続します

全ての生命は、自分の業を相続します。

自分の業に管理されて生きています。

各生命が受ける幸不幸は、その生命の業の力によるものです。

ですから、私は私より豊かな人を見るたびに、

過去に善行為をした人であると思い、喜びを感じます。

私より不幸に思える人を見ると、

生命は無明のせいで罪を犯すのだと理解し、

自分が罪を犯さないようにと気をつけます。

不幸に陥っている生命に対して、憐れみの気持ちを抱きます。

協力する、助ける気持ちを起こします。

エゴの錯覚

「私は他より優れている」と感じることは高慢です。

「私は他と同等だ」と思うことは同等慢です。

「私は他より卑しい存在である」と思うことは卑下慢です。

慢とは、私のエゴの錯覚から起こるものです。

私は、エゴの錯覚がこころに現れないように、と精進します。

私は、慢により現れる対立・悩み・争いから離れるように、と精進します。

苦しむ世界で苦しみなく

世界は欲によって苦しんでいることを観察して、

私は欲を控えることに精進します。

世界は怒りによって苦しんでいることを観察して、

怒りのないこころで生きるように精進します。

世界は嫉妬によって苦しんでいることを観察して、

嫉妬のない心で生きるように精進します。

世界は恨みによって苦しんでいることを観察して、

恨みのない心で生きるように精進します。

世界は物惜しみによって苦しんでいることを観察して、

物惜しみのない心で生きるように精進します。

世界は自我を張るから苦しんでいることを観察して、

自我を張らない心で生きるように精進します。

世界は見栄を張るから苦しんでいることを観察して、

見栄を張らない心で生きるように精進します。

世界は一切の現象は無常であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は無常であると認めて生きるように精進します。

世界は一切の現象は苦であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は苦であると認めて生きるように精進します。

世界は一切の現象は無我であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は無我であると認めて生きるように精進します。

私のこころに悩みが起こりませんように。

私のこころに苦しみが起こりませんように。

私のこころは平安でありますように。

私のこころに安らぎが現れますように。

私に悟りの光が現れますように。

Khantī paramaṃ tapo titikkhā

カンティー パラマン タポー ティティッカー

忍耐と堪忍は最高の修行であります。

Nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ

ニッバーナン パラマン スカン

涅槃は究極の幸福であります。

慈しみの拡大

私の上の方向に住んでいる全ての生命、

私の下の方向に住んでいる全ての生命、

私の前の方向に住んでいる全ての生命、

私の右の方向に住んでいる全ての生命、

私の後ろの方向に住んでいる全ての生命、

私の左の方向に住んでいる全ての生命、

全ての方向に住んでいる全ての生命は、

幸福でありますように。安穏でありますように。

怒り、憎しみ、恨みから自由になりますように。

互いに慈悲喜捨の気持ちで接しあえますように。

願いごとが叶えられますように。

心の汚れが徐々になくなりますように。

すべての生命に、苦しみを乗り越えることができますように。

 

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世界中の幸せを呼び込む99の言葉 愛情 愛する 感謝 ありがとう 幸せ 開運 幸福 愛してる 美しい 素晴らしい ステキ 輝き 優しい 大好き ハイ! 幸運 満足 こころ 尊敬 感動 礼儀 清らか 永遠 慈しみ ひたむき いたわり 思いやり 感謝 謙虚 正直 素直 調和 誠実 真実 喜び 目覚め 平和 希望 元気 楽しい ツイてる 最高 うれしい ワクワク 情熱 成功 自由 希望 想像力 ときめき ウキウキ いきいき きらめき 華やか 豊か 勇気 信念 大胆 繁栄 創造性 叶う 強い 自信 できる 健康 信じる 奇跡 誕生 未来 無限 笑顔 大丈夫 ゆったり おだやか のんびり いっしょに 友だち 信頼 安らぎ 共感 そうだね 気にしない ごめんね いいよ よかった 快適 自然に おおらか 無邪気 和やか 穏やか 柔らか 順調 安心 寛容 すっきり きれい うっとり さわやか 落ちつき ゆとり 親切 充分 笑顔

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それは、「幸福になりたい」と思っているからでしょう。

誰であろうと、どんな生き物であろうと、生命は幸福になりたいのです。

 

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もし、あなたが勝ちたいと考えるなら、あなたは勝つ。
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あなたが習慣的に考えていることは、何でも潜在意識の中に沈み込み、この潜在意識はあなたの思考の性質に応じて反応を起こします。
あなたの潜在意識は感情の源であり、また創造力の湧き出る源でもあるのです。
良いことを考えれば良いことがそれに従って起こり、悪いことを考えれば悪いことが起こります。
それは心身の健康についても同じです。
あなたの人生は良くも悪くも、自分が心に思い描いたとおりになります。
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慈悲の瞑想

仏教を実践するうえで土台となる心を育てる

慈しみヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。

人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。

区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。

簡単に言えば、この「私」という実感さえなければ、問題は何もないのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触れたら「私は寒い」というように、簡単に「私」という主語は出てきますが、しかしそのことは大問題なのです。「私」がいるから「他人」がいて、だから人間関係が悪くなったりする。「私」がいるから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなる。例えばこのように、問題が生じてきます。

そこで、なぜ「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても、実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れるものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。

また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行ってください」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しているのです。

ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは大変必要な条件になります。

どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている…ということは重要なポイントなのです。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。

慈悲の瞑想の実践方法
次に実践ですが、ここでは「すべての行動は心に基づく」という法則を用いています。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあるのです。

「慈しみ」を実践するのにもっとも簡単で早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことです。

道徳やきびしい戒律を守ったり、困っている人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったらそれほど意味がないし、あとで疲れたり、嫌になる可能性さえあります。でも心が「慈悲の心」になってさえいれば、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいものに変わるのです。

ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいのです。

それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることです。それができた瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてきます。例えば、何か問題にぶつかっている人を励ましたい場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにしてもらったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだろうか……というように、相手の立場を自己に投影してみるのです。

それを上手くやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなりません。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にず~っと反復して言い聞かせてやればよいのです。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになります。

この「慈悲の瞑想」は、「ヴィパッサナー」とは違い、伝統的なごく普通の瞑想法ですから、ある意味では入っていきやすい実践だとも言えます。しかし、この慈悲を念じる実践は、決してヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、すべての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じているのが望ましいのです。

まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。「幸せ」とはなんですか?と考える必要はありません。幸せとは少なくとも良いことでしょう……というふうに大雑把に理解しておけばいいのです。

次に「私の悩み苦しみがなくなりますように」「私の願いごとが叶えられますように」、そして私達はいちおう仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れますように」でもかまいません。

二番目には、さきほど出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい生命」、いちばん幸福になって欲しいと感じる生命がいますから、その生命(自分の子供や両親、友人、身近な生命、動物、鳥、魚、昆虫、その他‥)のことを同様に念じます。

そして三番目に、やはりすべての生命が幸福であったほうがいちばんありがたいことだと思って、それから努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じます。

この三段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていきます。言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。(何人かで一緒に実践するときは声を出して唱えることもありますが、一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません)姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じてください。

 

『慈悲の瞑想』の言葉

私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように

私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい生命の願いごとが叶えられますように

私の親しい生命に悟りの光が現れますように

私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

*2016年秋より、これまで「人々」としていた言葉を「生命」に置き換えて慈悲の瞑想をいたします。

これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。 次は、自分が嫌いな生命、苦手な生命のことを思い浮かべます。嫌いな生命のいない人はまずいないはずですから、それらの生命を心に思い浮かべて、 それらの生命のために「慈悲の瞑想」を実践します。 さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる生命のことを思い浮かべて、それらの生命にも「慈悲の瞑想」を実践します。

私の嫌いな生命が幸せでありますように

私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように

私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

そして最後にもう一度、

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。 そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。 特にこれは持続して実践するということがいちばん大切なことです。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくのです。

回向の文
仏法僧の三宝に礼拝、帰依し、戒をまもり、慈悲の瞑想と、ヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。
この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。
そして、解脱が得られますように。

ご自分でなさる時、慈悲の瞑想を一通りしてから、ヴィパッサナー実践を行い、終わって時間があればもう一度簡単に慈悲の瞑想をして、最後にこの回向の文を唱えます。やはり、唱えるならば静かに一句一句に心を込めて、そのつもりになってとなえてみてください。

 

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慈悲の瞑想フルバージョン

私は幸せでありますように

私は幸せでありますように。

私の心に現れる悩み、苦しみが徐々に消えていきますように。

怒り、嫉妬、憎しみの感情は人の心を苦しめます。

苦しみである怒り、嫉妬、憎しみが、私の心に起こりませんように。

怒り、嫉妬、憎しみの妄想を育てないように努めます。

私の思考が慈しみの思考になりますように。

私は「物事が常に変化して消え去るものである」と観察します。

私は過ぎ去った出来事に囚われないように精進します。

私は将来のことに執着して悩まない、不安にならない人間になります。

私は今ここで、するべきことに集中します。

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように。

他者に対して、優しい心で対応することができますように。

私のこころに、他を差別する気持ちが現れませんように。

苦しい状況に遭遇しても、忍耐することができますように。

私のこころが、常に平安でありますように。

私のこころの汚れが、徐々になくなりますように。

私に、ありのままの事実を発見することができますように。

私に、真理を発見する智慧が現れますように。

私に、一切の現象に対する愛着がなくなりますように。

私に、悟りの光が現れますように。

全ての生命は兄弟

私は、全ての生命が私の兄弟であると思えるように精進します。

私は、全ての生命と私が平等であると思えるように精進します。

私は、全ての生命の幸福と繁栄を期待します。

私は、生命の間で調和が保たれるように精進します。

私は、釈尊の言葉を念じます

私は、釈尊の言葉を念じます。

無始なる輪廻のなかで、私の母でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の父でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の兄弟でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の子供でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の友人でなかった生命はいません。

釈尊の戒めを尊とうとんで、一切の生命に慈しみの気持ちを抱きます。

すべての生命は私自身の父・母であると思います。

すべての生命は私自身の兄弟であると思います。

すべての生命は私自身の子供であると思います。

すべての生命は私自身の友人であると思います。

すべての生命は私自身の家族であると思います。

すべての生命は幸福でありますように。

こころは空気のように

空気と空気が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

水と水が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

太陽の光が、地球の隅から隅まで照らすように、

私の慈しみの光が、

全ての生命のこころをさまたげ無く照らせるように、

制限無く、慈しみを育はぐくみます。

東・西・南・北・上・下という六方に住む生命に対して、

無限に、とどまること無く、慈しみを育みます。

心は大地のように

大地は、如何なる清らかなものを捨てても、

如何なる不浄なものを捨てても、喜ぶことも嫌がることもありません。

私も、他の生命の賞賛・非難などを受ける時は、大地のようなこころを保ちます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

皆、業を相続します

全ての生命は、自分の業を相続します。

自分の業に管理されて生きています。

各生命が受ける幸不幸は、その生命の業の力によるものです。

ですから、私は私より豊かな人を見るたびに、

過去に善行為をした人であると思い、喜びを感じます。

私より不幸に思える人を見ると、

生命は無明のせいで罪を犯すのだと理解し、

自分が罪を犯さないようにと気をつけます。

不幸に陥っている生命に対して、憐れみの気持ちを抱きます。

協力する、助ける気持ちを起こします。

エゴの錯覚

「私は他より優れている」と感じることは高慢です。

「私は他と同等だ」と思うことは同等慢です。

「私は他より卑しい存在である」と思うことは卑下慢です。

慢とは、私のエゴの錯覚から起こるものです。

私は、エゴの錯覚がこころに現れないように、と精進します。

私は、慢により現れる対立・悩み・争いから離れるように、と精進します。

苦しむ世界で苦しみなく

世界は欲によって苦しんでいることを観察して、

私は欲を控えることに精進します。

世界は怒りによって苦しんでいることを観察して、

怒りのないこころで生きるように精進します。

世界は嫉妬によって苦しんでいることを観察して、

嫉妬のない心で生きるように精進します。

世界は恨みによって苦しんでいることを観察して、

恨みのない心で生きるように精進します。

世界は物惜しみによって苦しんでいることを観察して、

物惜しみのない心で生きるように精進します。

世界は自我を張るから苦しんでいることを観察して、

自我を張らない心で生きるように精進します。

世界は見栄を張るから苦しんでいることを観察して、

見栄を張らない心で生きるように精進します。

世界は一切の現象は無常であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は無常であると認めて生きるように精進します。

世界は一切の現象は苦であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は苦であると認めて生きるように精進します。

世界は一切の現象は無我であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は無我であると認めて生きるように精進します。

私のこころに悩みが起こりませんように。

私のこころに苦しみが起こりませんように。

私のこころは平安でありますように。

私のこころに安らぎが現れますように。

私に悟りの光が現れますように。

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慈しみの拡大

私の上の方向に住んでいる全ての生命、

私の下の方向に住んでいる全ての生命、

私の前の方向に住んでいる全ての生命、

私の右の方向に住んでいる全ての生命、

私の後ろの方向に住んでいる全ての生命、

私の左の方向に住んでいる全ての生命、

全ての方向に住んでいる全ての生命は、

幸福でありますように。安穏でありますように。

怒り、憎しみ、恨みから自由になりますように。

互いに慈悲喜捨の気持ちで接しあえますように。

願いごとが叶えられますように。

心の汚れが徐々になくなりますように。

すべての生命に、苦しみを乗り越えることができますように。

 

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ちいさな言の葉が
あなたの救いになりますように

今日も楽しく素敵な一日を
あなたが幸せでありますように
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今日、あなたはどんな一日を過ごしていますか?

時間に追われたり、困難な出来事に頭を悩ませたり、さまざまな気分に振り回されながらも、

 

何とか今日一日を過ごそうと、夢中になっているのではないでしょうか。

私たちは、日々を生きることに精一杯です。

どんな生命であっても、「生きる」ということはものすごく大変なことです。

生きることは「終わりなき戦い」です。

必死になって何とか生きているのが、私たちの毎日だと思います。

そうまでして私たちが生きているのはなぜでしょうか?

それは、「幸福になりたい」と思っているからでしょう。

誰であろうと、どんな生き物であろうと、生命は幸福になりたいのです。

 

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未来をカタチにする、、、

 

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潜在意識マスターの教え

 

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ナポレオン・ヒルの名言

挑戦

もし、あなたが負けると考えるなら、あなたは負ける。
もし、あなたがもうダメだと考えるなら、あなたはダメになる。
もし、あなたが勝ちたいと思う心の片隅でムリだと考えるなら、あなたは絶対に勝てない。
もし、あなたが失敗すると考えるなら、あなたは失敗する。
世の中を見てみろ!
最後まで成功すると願い続けた人だけが成功しているではないか。
全ては「人の心」が決めるのだ。
もし、あなたが勝ちたいと考えるなら、あなたは勝つ。
向上したい、自信を持ちたいとあなたが願うなら、あなたはその通りの人になる。
強い人が勝つとも限らない。
すばしっこい人が勝つとも限らない。
私はできる、そう考えている人が結局勝つのだ。

ナポレオン・ヒル博士

 

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願望を信念化し、潜在意識の力を導き出すマーフィー理論

あなたが習慣的に考えていることは、何でも潜在意識の中に沈み込み、この潜在意識はあなたの思考の性質に応じて反応を起こします。
あなたの潜在意識は感情の源であり、また創造力の湧き出る源でもあるのです。
良いことを考えれば良いことがそれに従って起こり、悪いことを考えれば悪いことが起こります。
それは心身の健康についても同じです。
あなたの人生は良くも悪くも、自分が心に思い描いたとおりになります。
そしてあなたが本当にそう願い信念化するならば、潜在意識の力が導き出され、必ず目標は実現されるのです。

ジョセフ・マーフィー博士

 

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慈悲の瞑想

仏教を実践するうえで土台となる心を育てる

慈しみヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。

人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。

区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。

簡単に言えば、この「私」という実感さえなければ、問題は何もないのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触れたら「私は寒い」というように、簡単に「私」という主語は出てきますが、しかしそのことは大問題なのです。「私」がいるから「他人」がいて、だから人間関係が悪くなったりする。「私」がいるから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなる。例えばこのように、問題が生じてきます。

そこで、なぜ「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても、実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れるものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。

また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行ってください」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しているのです。

ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは大変必要な条件になります。

どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている…ということは重要なポイントなのです。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。

慈悲の瞑想の実践方法
次に実践ですが、ここでは「すべての行動は心に基づく」という法則を用いています。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあるのです。

「慈しみ」を実践するのにもっとも簡単で早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことです。

道徳やきびしい戒律を守ったり、困っている人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったらそれほど意味がないし、あとで疲れたり、嫌になる可能性さえあります。でも心が「慈悲の心」になってさえいれば、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいものに変わるのです。

ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいのです。

それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることです。それができた瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてきます。例えば、何か問題にぶつかっている人を励ましたい場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにしてもらったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだろうか……というように、相手の立場を自己に投影してみるのです。

それを上手くやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなりません。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にず~っと反復して言い聞かせてやればよいのです。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになります。

この「慈悲の瞑想」は、「ヴィパッサナー」とは違い、伝統的なごく普通の瞑想法ですから、ある意味では入っていきやすい実践だとも言えます。しかし、この慈悲を念じる実践は、決してヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、すべての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じているのが望ましいのです。

まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。「幸せ」とはなんですか?と考える必要はありません。幸せとは少なくとも良いことでしょう……というふうに大雑把に理解しておけばいいのです。

次に「私の悩み苦しみがなくなりますように」「私の願いごとが叶えられますように」、そして私達はいちおう仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れますように」でもかまいません。

二番目には、さきほど出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい生命」、いちばん幸福になって欲しいと感じる生命がいますから、その生命(自分の子供や両親、友人、身近な生命、動物、鳥、魚、昆虫、その他‥)のことを同様に念じます。

そして三番目に、やはりすべての生命が幸福であったほうがいちばんありがたいことだと思って、それから努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じます。

この三段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていきます。言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。(何人かで一緒に実践するときは声を出して唱えることもありますが、一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません)姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じてください。

 

『慈悲の瞑想』の言葉

私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように

私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい生命の願いごとが叶えられますように

私の親しい生命に悟りの光が現れますように

私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

*2016年秋より、これまで「人々」としていた言葉を「生命」に置き換えて慈悲の瞑想をいたします。

これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。 次は、自分が嫌いな生命、苦手な生命のことを思い浮かべます。嫌いな生命のいない人はまずいないはずですから、それらの生命を心に思い浮かべて、 それらの生命のために「慈悲の瞑想」を実践します。 さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる生命のことを思い浮かべて、それらの生命にも「慈悲の瞑想」を実践します。

私の嫌いな生命が幸せでありますように

私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように

私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

そして最後にもう一度、

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。 そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。 特にこれは持続して実践するということがいちばん大切なことです。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくのです。

回向の文
仏法僧の三宝に礼拝、帰依し、戒をまもり、慈悲の瞑想と、ヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。
この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。
そして、解脱が得られますように。

ご自分でなさる時、慈悲の瞑想を一通りしてから、ヴィパッサナー実践を行い、終わって時間があればもう一度簡単に慈悲の瞑想をして、最後にこの回向の文を唱えます。やはり、唱えるならば静かに一句一句に心を込めて、そのつもりになってとなえてみてください。

 

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慈悲の瞑想フルバージョン

私は幸せでありますように

私は幸せでありますように。

私の心に現れる悩み、苦しみが徐々に消えていきますように。

怒り、嫉妬、憎しみの感情は人の心を苦しめます。

苦しみである怒り、嫉妬、憎しみが、私の心に起こりませんように。

怒り、嫉妬、憎しみの妄想を育てないように努めます。

私の思考が慈しみの思考になりますように。

私は「物事が常に変化して消え去るものである」と観察します。

私は過ぎ去った出来事に囚われないように精進します。

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私は今ここで、するべきことに集中します。

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように。

他者に対して、優しい心で対応することができますように。

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苦しい状況に遭遇しても、忍耐することができますように。

私のこころが、常に平安でありますように。

私のこころの汚れが、徐々になくなりますように。

私に、ありのままの事実を発見することができますように。

私に、真理を発見する智慧が現れますように。

私に、一切の現象に対する愛着がなくなりますように。

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全ての生命は兄弟

私は、全ての生命が私の兄弟であると思えるように精進します。

私は、全ての生命と私が平等であると思えるように精進します。

私は、全ての生命の幸福と繁栄を期待します。

私は、生命の間で調和が保たれるように精進します。

私は、釈尊の言葉を念じます

私は、釈尊の言葉を念じます。

無始なる輪廻のなかで、私の母でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の父でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の兄弟でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の子供でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の友人でなかった生命はいません。

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すべての生命は私自身の父・母であると思います。

すべての生命は私自身の兄弟であると思います。

すべての生命は私自身の子供であると思います。

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すべての生命は幸福でありますように。

こころは空気のように

空気と空気が何の対立もなく一体になるように、

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心は大地のように

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怒るか 怒らないか を決めているのは 自分自身

 

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⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 怒るか 怒らないか を決めているのは 自分自身

 

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あなたの救いになりますように

今日も楽しく素敵な一日を
あなたが幸せでありますように
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今日、あなたはどんな一日を過ごしていますか?

時間に追われたり、困難な出来事に頭を悩ませたり、さまざまな気分に振り回されながらも、

 

何とか今日一日を過ごそうと、夢中になっているのではないでしょうか。

私たちは、日々を生きることに精一杯です。

どんな生命であっても、「生きる」ということはものすごく大変なことです。

生きることは「終わりなき戦い」です。

必死になって何とか生きているのが、私たちの毎日だと思います。

そうまでして私たちが生きているのはなぜでしょうか?

それは、「幸福になりたい」と思っているからでしょう。

誰であろうと、どんな生き物であろうと、生命は幸福になりたいのです。

 

ちいさな言の葉が
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ナポレオン・ヒルの名言

挑戦

もし、あなたが負けると考えるなら、あなたは負ける。
もし、あなたがもうダメだと考えるなら、あなたはダメになる。
もし、あなたが勝ちたいと思う心の片隅でムリだと考えるなら、あなたは絶対に勝てない。
もし、あなたが失敗すると考えるなら、あなたは失敗する。
世の中を見てみろ!
最後まで成功すると願い続けた人だけが成功しているではないか。
全ては「人の心」が決めるのだ。
もし、あなたが勝ちたいと考えるなら、あなたは勝つ。
向上したい、自信を持ちたいとあなたが願うなら、あなたはその通りの人になる。
強い人が勝つとも限らない。
すばしっこい人が勝つとも限らない。
私はできる、そう考えている人が結局勝つのだ。

ナポレオン・ヒル博士

 

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願望を信念化し、潜在意識の力を導き出すマーフィー理論

あなたが習慣的に考えていることは、何でも潜在意識の中に沈み込み、この潜在意識はあなたの思考の性質に応じて反応を起こします。
あなたの潜在意識は感情の源であり、また創造力の湧き出る源でもあるのです。
良いことを考えれば良いことがそれに従って起こり、悪いことを考えれば悪いことが起こります。
それは心身の健康についても同じです。
あなたの人生は良くも悪くも、自分が心に思い描いたとおりになります。
そしてあなたが本当にそう願い信念化するならば、潜在意識の力が導き出され、必ず目標は実現されるのです。

ジョセフ・マーフィー博士

 

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慈悲の瞑想

仏教を実践するうえで土台となる心を育てる

慈しみヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。

人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。

区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。

簡単に言えば、この「私」という実感さえなければ、問題は何もないのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触れたら「私は寒い」というように、簡単に「私」という主語は出てきますが、しかしそのことは大問題なのです。「私」がいるから「他人」がいて、だから人間関係が悪くなったりする。「私」がいるから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなる。例えばこのように、問題が生じてきます。

そこで、なぜ「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても、実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れるものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。

また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行ってください」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しているのです。

ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは大変必要な条件になります。

どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている…ということは重要なポイントなのです。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。

慈悲の瞑想の実践方法
次に実践ですが、ここでは「すべての行動は心に基づく」という法則を用いています。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあるのです。

「慈しみ」を実践するのにもっとも簡単で早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことです。

道徳やきびしい戒律を守ったり、困っている人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったらそれほど意味がないし、あとで疲れたり、嫌になる可能性さえあります。でも心が「慈悲の心」になってさえいれば、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいものに変わるのです。

ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいのです。

それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることです。それができた瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてきます。例えば、何か問題にぶつかっている人を励ましたい場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにしてもらったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだろうか……というように、相手の立場を自己に投影してみるのです。

それを上手くやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなりません。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にず~っと反復して言い聞かせてやればよいのです。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになります。

この「慈悲の瞑想」は、「ヴィパッサナー」とは違い、伝統的なごく普通の瞑想法ですから、ある意味では入っていきやすい実践だとも言えます。しかし、この慈悲を念じる実践は、決してヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、すべての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じているのが望ましいのです。

まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。「幸せ」とはなんですか?と考える必要はありません。幸せとは少なくとも良いことでしょう……というふうに大雑把に理解しておけばいいのです。

次に「私の悩み苦しみがなくなりますように」「私の願いごとが叶えられますように」、そして私達はいちおう仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れますように」でもかまいません。

二番目には、さきほど出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい生命」、いちばん幸福になって欲しいと感じる生命がいますから、その生命(自分の子供や両親、友人、身近な生命、動物、鳥、魚、昆虫、その他‥)のことを同様に念じます。

そして三番目に、やはりすべての生命が幸福であったほうがいちばんありがたいことだと思って、それから努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じます。

この三段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていきます。言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。(何人かで一緒に実践するときは声を出して唱えることもありますが、一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません)姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じてください。

 

『慈悲の瞑想』の言葉

私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように

私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい生命の願いごとが叶えられますように

私の親しい生命に悟りの光が現れますように

私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

*2016年秋より、これまで「人々」としていた言葉を「生命」に置き換えて慈悲の瞑想をいたします。

これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。 次は、自分が嫌いな生命、苦手な生命のことを思い浮かべます。嫌いな生命のいない人はまずいないはずですから、それらの生命を心に思い浮かべて、 それらの生命のために「慈悲の瞑想」を実践します。 さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる生命のことを思い浮かべて、それらの生命にも「慈悲の瞑想」を実践します。

私の嫌いな生命が幸せでありますように

私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように

私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

そして最後にもう一度、

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。 そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。 特にこれは持続して実践するということがいちばん大切なことです。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくのです。

回向の文
仏法僧の三宝に礼拝、帰依し、戒をまもり、慈悲の瞑想と、ヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。
この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。
そして、解脱が得られますように。

ご自分でなさる時、慈悲の瞑想を一通りしてから、ヴィパッサナー実践を行い、終わって時間があればもう一度簡単に慈悲の瞑想をして、最後にこの回向の文を唱えます。やはり、唱えるならば静かに一句一句に心を込めて、そのつもりになってとなえてみてください。

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

慈悲の瞑想フルバージョン

私は幸せでありますように

私は幸せでありますように。

私の心に現れる悩み、苦しみが徐々に消えていきますように。

怒り、嫉妬、憎しみの感情は人の心を苦しめます。

苦しみである怒り、嫉妬、憎しみが、私の心に起こりませんように。

怒り、嫉妬、憎しみの妄想を育てないように努めます。

私の思考が慈しみの思考になりますように。

私は「物事が常に変化して消え去るものである」と観察します。

私は過ぎ去った出来事に囚われないように精進します。

私は将来のことに執着して悩まない、不安にならない人間になります。

私は今ここで、するべきことに集中します。

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように。

他者に対して、優しい心で対応することができますように。

私のこころに、他を差別する気持ちが現れませんように。

苦しい状況に遭遇しても、忍耐することができますように。

私のこころが、常に平安でありますように。

私のこころの汚れが、徐々になくなりますように。

私に、ありのままの事実を発見することができますように。

私に、真理を発見する智慧が現れますように。

私に、一切の現象に対する愛着がなくなりますように。

私に、悟りの光が現れますように。

全ての生命は兄弟

私は、全ての生命が私の兄弟であると思えるように精進します。

私は、全ての生命と私が平等であると思えるように精進します。

私は、全ての生命の幸福と繁栄を期待します。

私は、生命の間で調和が保たれるように精進します。

私は、釈尊の言葉を念じます

私は、釈尊の言葉を念じます。

無始なる輪廻のなかで、私の母でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の父でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の兄弟でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の子供でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の友人でなかった生命はいません。

釈尊の戒めを尊とうとんで、一切の生命に慈しみの気持ちを抱きます。

すべての生命は私自身の父・母であると思います。

すべての生命は私自身の兄弟であると思います。

すべての生命は私自身の子供であると思います。

すべての生命は私自身の友人であると思います。

すべての生命は私自身の家族であると思います。

すべての生命は幸福でありますように。

こころは空気のように

空気と空気が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

水と水が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

太陽の光が、地球の隅から隅まで照らすように、

私の慈しみの光が、

全ての生命のこころをさまたげ無く照らせるように、

制限無く、慈しみを育はぐくみます。

東・西・南・北・上・下という六方に住む生命に対して、

無限に、とどまること無く、慈しみを育みます。

心は大地のように

大地は、如何なる清らかなものを捨てても、

如何なる不浄なものを捨てても、喜ぶことも嫌がることもありません。

私も、他の生命の賞賛・非難などを受ける時は、大地のようなこころを保ちます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

皆、業を相続します

全ての生命は、自分の業を相続します。

自分の業に管理されて生きています。

各生命が受ける幸不幸は、その生命の業の力によるものです。

ですから、私は私より豊かな人を見るたびに、

過去に善行為をした人であると思い、喜びを感じます。

私より不幸に思える人を見ると、

生命は無明のせいで罪を犯すのだと理解し、

自分が罪を犯さないようにと気をつけます。

不幸に陥っている生命に対して、憐れみの気持ちを抱きます。

協力する、助ける気持ちを起こします。

エゴの錯覚

「私は他より優れている」と感じることは高慢です。

「私は他と同等だ」と思うことは同等慢です。

「私は他より卑しい存在である」と思うことは卑下慢です。

慢とは、私のエゴの錯覚から起こるものです。

私は、エゴの錯覚がこころに現れないように、と精進します。

私は、慢により現れる対立・悩み・争いから離れるように、と精進します。

苦しむ世界で苦しみなく

世界は欲によって苦しんでいることを観察して、

私は欲を控えることに精進します。

世界は怒りによって苦しんでいることを観察して、

怒りのないこころで生きるように精進します。

世界は嫉妬によって苦しんでいることを観察して、

嫉妬のない心で生きるように精進します。

世界は恨みによって苦しんでいることを観察して、

恨みのない心で生きるように精進します。

世界は物惜しみによって苦しんでいることを観察して、

物惜しみのない心で生きるように精進します。

世界は自我を張るから苦しんでいることを観察して、

自我を張らない心で生きるように精進します。

世界は見栄を張るから苦しんでいることを観察して、

見栄を張らない心で生きるように精進します。

世界は一切の現象は無常であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は無常であると認めて生きるように精進します。

世界は一切の現象は苦であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は苦であると認めて生きるように精進します。

世界は一切の現象は無我であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は無我であると認めて生きるように精進します。

私のこころに悩みが起こりませんように。

私のこころに苦しみが起こりませんように。

私のこころは平安でありますように。

私のこころに安らぎが現れますように。

私に悟りの光が現れますように。

Khantī paramaṃ tapo titikkhā

カンティー パラマン タポー ティティッカー

忍耐と堪忍は最高の修行であります。

Nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ

ニッバーナン パラマン スカン

涅槃は究極の幸福であります。

慈しみの拡大

私の上の方向に住んでいる全ての生命、

私の下の方向に住んでいる全ての生命、

私の前の方向に住んでいる全ての生命、

私の右の方向に住んでいる全ての生命、

私の後ろの方向に住んでいる全ての生命、

私の左の方向に住んでいる全ての生命、

全ての方向に住んでいる全ての生命は、

幸福でありますように。安穏でありますように。

怒り、憎しみ、恨みから自由になりますように。

互いに慈悲喜捨の気持ちで接しあえますように。

願いごとが叶えられますように。

心の汚れが徐々になくなりますように。

すべての生命に、苦しみを乗り越えることができますように。

 

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世界中の幸せを呼び込む99の言葉 愛情 愛する 感謝 ありがとう 幸せ 開運 幸福 愛してる 美しい 素晴らしい ステキ 輝き 優しい 大好き ハイ! 幸運 満足 こころ 尊敬 感動 礼儀 清らか 永遠 慈しみ ひたむき いたわり 思いやり 感謝 謙虚 正直 素直 調和 誠実 真実 喜び 目覚め 平和 希望 元気 楽しい ツイてる 最高 うれしい ワクワク 情熱 成功 自由 希望 想像力 ときめき ウキウキ いきいき きらめき 華やか 豊か 勇気 信念 大胆 繁栄 創造性 叶う 強い 自信 できる 健康 信じる 奇跡 誕生 未来 無限 笑顔 大丈夫 ゆったり おだやか のんびり いっしょに 友だち 信頼 安らぎ 共感 そうだね 気にしない ごめんね いいよ よかった 快適 自然に おおらか 無邪気 和やか 穏やか 柔らか 順調 安心 寛容 すっきり きれい うっとり さわやか 落ちつき ゆとり 親切 充分 笑顔

ありがとう ごめん をちゃんと言うといい

 

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そうまでして私たちが生きているのはなぜでしょうか?

それは、「幸福になりたい」と思っているからでしょう。

誰であろうと、どんな生き物であろうと、生命は幸福になりたいのです。

 

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もし、あなたが勝ちたいと考えるなら、あなたは勝つ。
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あなたが習慣的に考えていることは、何でも潜在意識の中に沈み込み、この潜在意識はあなたの思考の性質に応じて反応を起こします。
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良いことを考えれば良いことがそれに従って起こり、悪いことを考えれば悪いことが起こります。
それは心身の健康についても同じです。
あなたの人生は良くも悪くも、自分が心に思い描いたとおりになります。
そしてあなたが本当にそう願い信念化するならば、潜在意識の力が導き出され、必ず目標は実現されるのです。

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慈悲の瞑想

仏教を実践するうえで土台となる心を育てる

慈しみヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。

人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。

区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。

簡単に言えば、この「私」という実感さえなければ、問題は何もないのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触れたら「私は寒い」というように、簡単に「私」という主語は出てきますが、しかしそのことは大問題なのです。「私」がいるから「他人」がいて、だから人間関係が悪くなったりする。「私」がいるから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなる。例えばこのように、問題が生じてきます。

そこで、なぜ「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても、実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れるものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。

また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行ってください」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しているのです。

ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは大変必要な条件になります。

どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている…ということは重要なポイントなのです。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。

慈悲の瞑想の実践方法
次に実践ですが、ここでは「すべての行動は心に基づく」という法則を用いています。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあるのです。

「慈しみ」を実践するのにもっとも簡単で早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことです。

道徳やきびしい戒律を守ったり、困っている人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったらそれほど意味がないし、あとで疲れたり、嫌になる可能性さえあります。でも心が「慈悲の心」になってさえいれば、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいものに変わるのです。

ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいのです。

それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることです。それができた瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてきます。例えば、何か問題にぶつかっている人を励ましたい場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにしてもらったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだろうか……というように、相手の立場を自己に投影してみるのです。

それを上手くやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなりません。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にず~っと反復して言い聞かせてやればよいのです。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになります。

この「慈悲の瞑想」は、「ヴィパッサナー」とは違い、伝統的なごく普通の瞑想法ですから、ある意味では入っていきやすい実践だとも言えます。しかし、この慈悲を念じる実践は、決してヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、すべての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じているのが望ましいのです。

まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。「幸せ」とはなんですか?と考える必要はありません。幸せとは少なくとも良いことでしょう……というふうに大雑把に理解しておけばいいのです。

次に「私の悩み苦しみがなくなりますように」「私の願いごとが叶えられますように」、そして私達はいちおう仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れますように」でもかまいません。

二番目には、さきほど出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい生命」、いちばん幸福になって欲しいと感じる生命がいますから、その生命(自分の子供や両親、友人、身近な生命、動物、鳥、魚、昆虫、その他‥)のことを同様に念じます。

そして三番目に、やはりすべての生命が幸福であったほうがいちばんありがたいことだと思って、それから努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じます。

この三段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていきます。言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。(何人かで一緒に実践するときは声を出して唱えることもありますが、一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません)姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じてください。

 

『慈悲の瞑想』の言葉

私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように

私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい生命の願いごとが叶えられますように

私の親しい生命に悟りの光が現れますように

私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

*2016年秋より、これまで「人々」としていた言葉を「生命」に置き換えて慈悲の瞑想をいたします。

これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。 次は、自分が嫌いな生命、苦手な生命のことを思い浮かべます。嫌いな生命のいない人はまずいないはずですから、それらの生命を心に思い浮かべて、 それらの生命のために「慈悲の瞑想」を実践します。 さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる生命のことを思い浮かべて、それらの生命にも「慈悲の瞑想」を実践します。

私の嫌いな生命が幸せでありますように

私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように

私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

そして最後にもう一度、

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。 そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。 特にこれは持続して実践するということがいちばん大切なことです。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくのです。

回向の文
仏法僧の三宝に礼拝、帰依し、戒をまもり、慈悲の瞑想と、ヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。
この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。
そして、解脱が得られますように。

ご自分でなさる時、慈悲の瞑想を一通りしてから、ヴィパッサナー実践を行い、終わって時間があればもう一度簡単に慈悲の瞑想をして、最後にこの回向の文を唱えます。やはり、唱えるならば静かに一句一句に心を込めて、そのつもりになってとなえてみてください。

 

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慈悲の瞑想フルバージョン

私は幸せでありますように

私は幸せでありますように。

私の心に現れる悩み、苦しみが徐々に消えていきますように。

怒り、嫉妬、憎しみの感情は人の心を苦しめます。

苦しみである怒り、嫉妬、憎しみが、私の心に起こりませんように。

怒り、嫉妬、憎しみの妄想を育てないように努めます。

私の思考が慈しみの思考になりますように。

私は「物事が常に変化して消え去るものである」と観察します。

私は過ぎ去った出来事に囚われないように精進します。

私は将来のことに執着して悩まない、不安にならない人間になります。

私は今ここで、するべきことに集中します。

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように。

他者に対して、優しい心で対応することができますように。

私のこころに、他を差別する気持ちが現れませんように。

苦しい状況に遭遇しても、忍耐することができますように。

私のこころが、常に平安でありますように。

私のこころの汚れが、徐々になくなりますように。

私に、ありのままの事実を発見することができますように。

私に、真理を発見する智慧が現れますように。

私に、一切の現象に対する愛着がなくなりますように。

私に、悟りの光が現れますように。

全ての生命は兄弟

私は、全ての生命が私の兄弟であると思えるように精進します。

私は、全ての生命と私が平等であると思えるように精進します。

私は、全ての生命の幸福と繁栄を期待します。

私は、生命の間で調和が保たれるように精進します。

私は、釈尊の言葉を念じます

私は、釈尊の言葉を念じます。

無始なる輪廻のなかで、私の母でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の父でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の兄弟でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の子供でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の友人でなかった生命はいません。

釈尊の戒めを尊とうとんで、一切の生命に慈しみの気持ちを抱きます。

すべての生命は私自身の父・母であると思います。

すべての生命は私自身の兄弟であると思います。

すべての生命は私自身の子供であると思います。

すべての生命は私自身の友人であると思います。

すべての生命は私自身の家族であると思います。

すべての生命は幸福でありますように。

こころは空気のように

空気と空気が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

水と水が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

太陽の光が、地球の隅から隅まで照らすように、

私の慈しみの光が、

全ての生命のこころをさまたげ無く照らせるように、

制限無く、慈しみを育はぐくみます。

東・西・南・北・上・下という六方に住む生命に対して、

無限に、とどまること無く、慈しみを育みます。

心は大地のように

大地は、如何なる清らかなものを捨てても、

如何なる不浄なものを捨てても、喜ぶことも嫌がることもありません。

私も、他の生命の賞賛・非難などを受ける時は、大地のようなこころを保ちます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

皆、業を相続します

全ての生命は、自分の業を相続します。

自分の業に管理されて生きています。

各生命が受ける幸不幸は、その生命の業の力によるものです。

ですから、私は私より豊かな人を見るたびに、

過去に善行為をした人であると思い、喜びを感じます。

私より不幸に思える人を見ると、

生命は無明のせいで罪を犯すのだと理解し、

自分が罪を犯さないようにと気をつけます。

不幸に陥っている生命に対して、憐れみの気持ちを抱きます。

協力する、助ける気持ちを起こします。

エゴの錯覚

「私は他より優れている」と感じることは高慢です。

「私は他と同等だ」と思うことは同等慢です。

「私は他より卑しい存在である」と思うことは卑下慢です。

慢とは、私のエゴの錯覚から起こるものです。

私は、エゴの錯覚がこころに現れないように、と精進します。

私は、慢により現れる対立・悩み・争いから離れるように、と精進します。

苦しむ世界で苦しみなく

世界は欲によって苦しんでいることを観察して、

私は欲を控えることに精進します。

世界は怒りによって苦しんでいることを観察して、

怒りのないこころで生きるように精進します。

世界は嫉妬によって苦しんでいることを観察して、

嫉妬のない心で生きるように精進します。

世界は恨みによって苦しんでいることを観察して、

恨みのない心で生きるように精進します。

世界は物惜しみによって苦しんでいることを観察して、

物惜しみのない心で生きるように精進します。

世界は自我を張るから苦しんでいることを観察して、

自我を張らない心で生きるように精進します。

世界は見栄を張るから苦しんでいることを観察して、

見栄を張らない心で生きるように精進します。

世界は一切の現象は無常であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は無常であると認めて生きるように精進します。

世界は一切の現象は苦であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は苦であると認めて生きるように精進します。

世界は一切の現象は無我であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は無我であると認めて生きるように精進します。

私のこころに悩みが起こりませんように。

私のこころに苦しみが起こりませんように。

私のこころは平安でありますように。

私のこころに安らぎが現れますように。

私に悟りの光が現れますように。

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慈しみの拡大

私の上の方向に住んでいる全ての生命、

私の下の方向に住んでいる全ての生命、

私の前の方向に住んでいる全ての生命、

私の右の方向に住んでいる全ての生命、

私の後ろの方向に住んでいる全ての生命、

私の左の方向に住んでいる全ての生命、

全ての方向に住んでいる全ての生命は、

幸福でありますように。安穏でありますように。

怒り、憎しみ、恨みから自由になりますように。

互いに慈悲喜捨の気持ちで接しあえますように。

願いごとが叶えられますように。

心の汚れが徐々になくなりますように。

すべての生命に、苦しみを乗り越えることができますように。

 

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ちいさな言の葉が
あなたの救いになりますように

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今日、あなたはどんな一日を過ごしていますか?

時間に追われたり、困難な出来事に頭を悩ませたり、さまざまな気分に振り回されながらも、

 

何とか今日一日を過ごそうと、夢中になっているのではないでしょうか。

私たちは、日々を生きることに精一杯です。

どんな生命であっても、「生きる」ということはものすごく大変なことです。

生きることは「終わりなき戦い」です。

必死になって何とか生きているのが、私たちの毎日だと思います。

そうまでして私たちが生きているのはなぜでしょうか?

それは、「幸福になりたい」と思っているからでしょう。

誰であろうと、どんな生き物であろうと、生命は幸福になりたいのです。

 

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潜在意識マスターの教え

 

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ナポレオン・ヒルの名言

挑戦

もし、あなたが負けると考えるなら、あなたは負ける。
もし、あなたがもうダメだと考えるなら、あなたはダメになる。
もし、あなたが勝ちたいと思う心の片隅でムリだと考えるなら、あなたは絶対に勝てない。
もし、あなたが失敗すると考えるなら、あなたは失敗する。
世の中を見てみろ!
最後まで成功すると願い続けた人だけが成功しているではないか。
全ては「人の心」が決めるのだ。
もし、あなたが勝ちたいと考えるなら、あなたは勝つ。
向上したい、自信を持ちたいとあなたが願うなら、あなたはその通りの人になる。
強い人が勝つとも限らない。
すばしっこい人が勝つとも限らない。
私はできる、そう考えている人が結局勝つのだ。

ナポレオン・ヒル博士

 

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願望を信念化し、潜在意識の力を導き出すマーフィー理論

あなたが習慣的に考えていることは、何でも潜在意識の中に沈み込み、この潜在意識はあなたの思考の性質に応じて反応を起こします。
あなたの潜在意識は感情の源であり、また創造力の湧き出る源でもあるのです。
良いことを考えれば良いことがそれに従って起こり、悪いことを考えれば悪いことが起こります。
それは心身の健康についても同じです。
あなたの人生は良くも悪くも、自分が心に思い描いたとおりになります。
そしてあなたが本当にそう願い信念化するならば、潜在意識の力が導き出され、必ず目標は実現されるのです。

ジョセフ・マーフィー博士

 

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慈悲の瞑想

仏教を実践するうえで土台となる心を育てる

慈しみヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。

人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。

区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。

簡単に言えば、この「私」という実感さえなければ、問題は何もないのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触れたら「私は寒い」というように、簡単に「私」という主語は出てきますが、しかしそのことは大問題なのです。「私」がいるから「他人」がいて、だから人間関係が悪くなったりする。「私」がいるから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなる。例えばこのように、問題が生じてきます。

そこで、なぜ「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても、実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れるものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。

また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行ってください」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しているのです。

ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは大変必要な条件になります。

どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている…ということは重要なポイントなのです。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。

慈悲の瞑想の実践方法
次に実践ですが、ここでは「すべての行動は心に基づく」という法則を用いています。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあるのです。

「慈しみ」を実践するのにもっとも簡単で早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことです。

道徳やきびしい戒律を守ったり、困っている人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったらそれほど意味がないし、あとで疲れたり、嫌になる可能性さえあります。でも心が「慈悲の心」になってさえいれば、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいものに変わるのです。

ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいのです。

それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることです。それができた瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてきます。例えば、何か問題にぶつかっている人を励ましたい場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにしてもらったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだろうか……というように、相手の立場を自己に投影してみるのです。

それを上手くやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなりません。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にず~っと反復して言い聞かせてやればよいのです。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになります。

この「慈悲の瞑想」は、「ヴィパッサナー」とは違い、伝統的なごく普通の瞑想法ですから、ある意味では入っていきやすい実践だとも言えます。しかし、この慈悲を念じる実践は、決してヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、すべての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じているのが望ましいのです。

まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。「幸せ」とはなんですか?と考える必要はありません。幸せとは少なくとも良いことでしょう……というふうに大雑把に理解しておけばいいのです。

次に「私の悩み苦しみがなくなりますように」「私の願いごとが叶えられますように」、そして私達はいちおう仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れますように」でもかまいません。

二番目には、さきほど出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい生命」、いちばん幸福になって欲しいと感じる生命がいますから、その生命(自分の子供や両親、友人、身近な生命、動物、鳥、魚、昆虫、その他‥)のことを同様に念じます。

そして三番目に、やはりすべての生命が幸福であったほうがいちばんありがたいことだと思って、それから努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じます。

この三段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていきます。言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。(何人かで一緒に実践するときは声を出して唱えることもありますが、一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません)姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じてください。

 

『慈悲の瞑想』の言葉

私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように

私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい生命の願いごとが叶えられますように

私の親しい生命に悟りの光が現れますように

私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

*2016年秋より、これまで「人々」としていた言葉を「生命」に置き換えて慈悲の瞑想をいたします。

これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。 次は、自分が嫌いな生命、苦手な生命のことを思い浮かべます。嫌いな生命のいない人はまずいないはずですから、それらの生命を心に思い浮かべて、 それらの生命のために「慈悲の瞑想」を実践します。 さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる生命のことを思い浮かべて、それらの生命にも「慈悲の瞑想」を実践します。

私の嫌いな生命が幸せでありますように

私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように

私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

そして最後にもう一度、

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。 そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。 特にこれは持続して実践するということがいちばん大切なことです。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくのです。

回向の文
仏法僧の三宝に礼拝、帰依し、戒をまもり、慈悲の瞑想と、ヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。
この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。
そして、解脱が得られますように。

ご自分でなさる時、慈悲の瞑想を一通りしてから、ヴィパッサナー実践を行い、終わって時間があればもう一度簡単に慈悲の瞑想をして、最後にこの回向の文を唱えます。やはり、唱えるならば静かに一句一句に心を込めて、そのつもりになってとなえてみてください。

 

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慈悲の瞑想フルバージョン

私は幸せでありますように

私は幸せでありますように。

私の心に現れる悩み、苦しみが徐々に消えていきますように。

怒り、嫉妬、憎しみの感情は人の心を苦しめます。

苦しみである怒り、嫉妬、憎しみが、私の心に起こりませんように。

怒り、嫉妬、憎しみの妄想を育てないように努めます。

私の思考が慈しみの思考になりますように。

私は「物事が常に変化して消え去るものである」と観察します。

私は過ぎ去った出来事に囚われないように精進します。

私は将来のことに執着して悩まない、不安にならない人間になります。

私は今ここで、するべきことに集中します。

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように。

他者に対して、優しい心で対応することができますように。

私のこころに、他を差別する気持ちが現れませんように。

苦しい状況に遭遇しても、忍耐することができますように。

私のこころが、常に平安でありますように。

私のこころの汚れが、徐々になくなりますように。

私に、ありのままの事実を発見することができますように。

私に、真理を発見する智慧が現れますように。

私に、一切の現象に対する愛着がなくなりますように。

私に、悟りの光が現れますように。

全ての生命は兄弟

私は、全ての生命が私の兄弟であると思えるように精進します。

私は、全ての生命と私が平等であると思えるように精進します。

私は、全ての生命の幸福と繁栄を期待します。

私は、生命の間で調和が保たれるように精進します。

私は、釈尊の言葉を念じます

私は、釈尊の言葉を念じます。

無始なる輪廻のなかで、私の母でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の父でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の兄弟でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の子供でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の友人でなかった生命はいません。

釈尊の戒めを尊とうとんで、一切の生命に慈しみの気持ちを抱きます。

すべての生命は私自身の父・母であると思います。

すべての生命は私自身の兄弟であると思います。

すべての生命は私自身の子供であると思います。

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すべての生命は幸福でありますように。

こころは空気のように

空気と空気が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

水と水が何の対立もなく一体になるように、

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全ての生命のこころと一体になりますように。

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心は大地のように

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エゴの錯覚

「私は他より優れている」と感じることは高慢です。

「私は他と同等だ」と思うことは同等慢です。

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私は、エゴの錯覚がこころに現れないように、と精進します。

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ながら聴くだけですべてがうまくいくいい言葉

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今日、あなたはどんな一日を過ごしていますか?

時間に追われたり、困難な出来事に頭を悩ませたり、さまざまな気分に振り回されながらも、

 

何とか今日一日を過ごそうと、夢中になっているのではないでしょうか。

私たちは、日々を生きることに精一杯です。

どんな生命であっても、「生きる」ということはものすごく大変なことです。

生きることは「終わりなき戦い」です。

必死になって何とか生きているのが、私たちの毎日だと思います。

そうまでして私たちが生きているのはなぜでしょうか?

それは、「幸福になりたい」と思っているからでしょう。

誰であろうと、どんな生き物であろうと、生命は幸福になりたいのです。

 

ちいさな言の葉が
あなたの救いになりますように

今日も楽しく素敵な一日を

あなたが幸せでありますように

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未来をカタチにする、、、

 

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潜在意識マスターの教え

 

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ナポレオン・ヒルの名言

挑戦

もし、あなたが負けると考えるなら、あなたは負ける。
もし、あなたがもうダメだと考えるなら、あなたはダメになる。
もし、あなたが勝ちたいと思う心の片隅でムリだと考えるなら、あなたは絶対に勝てない。
もし、あなたが失敗すると考えるなら、あなたは失敗する。
世の中を見てみろ!
最後まで成功すると願い続けた人だけが成功しているではないか。
全ては「人の心」が決めるのだ。
もし、あなたが勝ちたいと考えるなら、あなたは勝つ。
向上したい、自信を持ちたいとあなたが願うなら、あなたはその通りの人になる。
強い人が勝つとも限らない。
すばしっこい人が勝つとも限らない。
私はできる、そう考えている人が結局勝つのだ。

ナポレオン・ヒル博士

 

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願望を信念化し、潜在意識の力を導き出すマーフィー理論

あなたが習慣的に考えていることは、何でも潜在意識の中に沈み込み、この潜在意識はあなたの思考の性質に応じて反応を起こします。
あなたの潜在意識は感情の源であり、また創造力の湧き出る源でもあるのです。
良いことを考えれば良いことがそれに従って起こり、悪いことを考えれば悪いことが起こります。
それは心身の健康についても同じです。
あなたの人生は良くも悪くも、自分が心に思い描いたとおりになります。
そしてあなたが本当にそう願い信念化するならば、潜在意識の力が導き出され、必ず目標は実現されるのです。

ジョセフ・マーフィー博士

 

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慈悲の瞑想

仏教を実践するうえで土台となる心を育てる

慈しみヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。

人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。

区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。

簡単に言えば、この「私」という実感さえなければ、問題は何もないのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触れたら「私は寒い」というように、簡単に「私」という主語は出てきますが、しかしそのことは大問題なのです。「私」がいるから「他人」がいて、だから人間関係が悪くなったりする。「私」がいるから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなる。例えばこのように、問題が生じてきます。

そこで、なぜ「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても、実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れるものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。

また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行ってください」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しているのです。

ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは大変必要な条件になります。

どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている…ということは重要なポイントなのです。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。

慈悲の瞑想の実践方法
次に実践ですが、ここでは「すべての行動は心に基づく」という法則を用いています。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあるのです。

「慈しみ」を実践するのにもっとも簡単で早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことです。

道徳やきびしい戒律を守ったり、困っている人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったらそれほど意味がないし、あとで疲れたり、嫌になる可能性さえあります。でも心が「慈悲の心」になってさえいれば、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいものに変わるのです。

ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいのです。

それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることです。それができた瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてきます。例えば、何か問題にぶつかっている人を励ましたい場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにしてもらったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだろうか……というように、相手の立場を自己に投影してみるのです。

それを上手くやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなりません。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にず~っと反復して言い聞かせてやればよいのです。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになります。

この「慈悲の瞑想」は、「ヴィパッサナー」とは違い、伝統的なごく普通の瞑想法ですから、ある意味では入っていきやすい実践だとも言えます。しかし、この慈悲を念じる実践は、決してヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、すべての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じているのが望ましいのです。

まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。「幸せ」とはなんですか?と考える必要はありません。幸せとは少なくとも良いことでしょう……というふうに大雑把に理解しておけばいいのです。

次に「私の悩み苦しみがなくなりますように」「私の願いごとが叶えられますように」、そして私達はいちおう仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れますように」でもかまいません。

二番目には、さきほど出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい生命」、いちばん幸福になって欲しいと感じる生命がいますから、その生命(自分の子供や両親、友人、身近な生命、動物、鳥、魚、昆虫、その他‥)のことを同様に念じます。

そして三番目に、やはりすべての生命が幸福であったほうがいちばんありがたいことだと思って、それから努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じます。

この三段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていきます。言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。(何人かで一緒に実践するときは声を出して唱えることもありますが、一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません)姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じてください。

 

『慈悲の瞑想』の言葉

私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように

私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい生命の願いごとが叶えられますように

私の親しい生命に悟りの光が現れますように

私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

*2016年秋より、これまで「人々」としていた言葉を「生命」に置き換えて慈悲の瞑想をいたします。

これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。 次は、自分が嫌いな生命、苦手な生命のことを思い浮かべます。嫌いな生命のいない人はまずいないはずですから、それらの生命を心に思い浮かべて、 それらの生命のために「慈悲の瞑想」を実践します。 さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる生命のことを思い浮かべて、それらの生命にも「慈悲の瞑想」を実践します。

私の嫌いな生命が幸せでありますように

私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように

私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

そして最後にもう一度、

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。 そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。 特にこれは持続して実践するということがいちばん大切なことです。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくのです。

回向の文
仏法僧の三宝に礼拝、帰依し、戒をまもり、慈悲の瞑想と、ヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。
この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。
そして、解脱が得られますように。

ご自分でなさる時、慈悲の瞑想を一通りしてから、ヴィパッサナー実践を行い、終わって時間があればもう一度簡単に慈悲の瞑想をして、最後にこの回向の文を唱えます。やはり、唱えるならば静かに一句一句に心を込めて、そのつもりになってとなえてみてください。

 

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慈悲の瞑想フルバージョン

私は幸せでありますように

私は幸せでありますように。

私の心に現れる悩み、苦しみが徐々に消えていきますように。

怒り、嫉妬、憎しみの感情は人の心を苦しめます。

苦しみである怒り、嫉妬、憎しみが、私の心に起こりませんように。

怒り、嫉妬、憎しみの妄想を育てないように努めます。

私の思考が慈しみの思考になりますように。

私は「物事が常に変化して消え去るものである」と観察します。

私は過ぎ去った出来事に囚われないように精進します。

私は将来のことに執着して悩まない、不安にならない人間になります。

私は今ここで、するべきことに集中します。

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように。

他者に対して、優しい心で対応することができますように。

私のこころに、他を差別する気持ちが現れませんように。

苦しい状況に遭遇しても、忍耐することができますように。

私のこころが、常に平安でありますように。

私のこころの汚れが、徐々になくなりますように。

私に、ありのままの事実を発見することができますように。

私に、真理を発見する智慧が現れますように。

私に、一切の現象に対する愛着がなくなりますように。

私に、悟りの光が現れますように。

全ての生命は兄弟

私は、全ての生命が私の兄弟であると思えるように精進します。

私は、全ての生命と私が平等であると思えるように精進します。

私は、全ての生命の幸福と繁栄を期待します。

私は、生命の間で調和が保たれるように精進します。

私は、釈尊の言葉を念じます

私は、釈尊の言葉を念じます。

無始なる輪廻のなかで、私の母でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の父でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の兄弟でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の子供でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の友人でなかった生命はいません。

釈尊の戒めを尊とうとんで、一切の生命に慈しみの気持ちを抱きます。

すべての生命は私自身の父・母であると思います。

すべての生命は私自身の兄弟であると思います。

すべての生命は私自身の子供であると思います。

すべての生命は私自身の友人であると思います。

すべての生命は私自身の家族であると思います。

すべての生命は幸福でありますように。

こころは空気のように

空気と空気が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

水と水が何の対立もなく一体になるように、

私の慈しみの気持ちが、

全ての生命のこころと一体になりますように。

太陽の光が、地球の隅から隅まで照らすように、

私の慈しみの光が、

全ての生命のこころをさまたげ無く照らせるように、

制限無く、慈しみを育はぐくみます。

東・西・南・北・上・下という六方に住む生命に対して、

無限に、とどまること無く、慈しみを育みます。

心は大地のように

大地は、如何なる清らかなものを捨てても、

如何なる不浄なものを捨てても、喜ぶことも嫌がることもありません。

私も、他の生命の賞賛・非難などを受ける時は、大地のようなこころを保ちます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

皆、業を相続します

全ての生命は、自分の業を相続します。

自分の業に管理されて生きています。

各生命が受ける幸不幸は、その生命の業の力によるものです。

ですから、私は私より豊かな人を見るたびに、

過去に善行為をした人であると思い、喜びを感じます。

私より不幸に思える人を見ると、

生命は無明のせいで罪を犯すのだと理解し、

自分が罪を犯さないようにと気をつけます。

不幸に陥っている生命に対して、憐れみの気持ちを抱きます。

協力する、助ける気持ちを起こします。

エゴの錯覚

「私は他より優れている」と感じることは高慢です。

「私は他と同等だ」と思うことは同等慢です。

「私は他より卑しい存在である」と思うことは卑下慢です。

慢とは、私のエゴの錯覚から起こるものです。

私は、エゴの錯覚がこころに現れないように、と精進します。

私は、慢により現れる対立・悩み・争いから離れるように、と精進します。

苦しむ世界で苦しみなく

世界は欲によって苦しんでいることを観察して、

私は欲を控えることに精進します。

世界は怒りによって苦しんでいることを観察して、

怒りのないこころで生きるように精進します。

世界は嫉妬によって苦しんでいることを観察して、

嫉妬のない心で生きるように精進します。

世界は恨みによって苦しんでいることを観察して、

恨みのない心で生きるように精進します。

世界は物惜しみによって苦しんでいることを観察して、

物惜しみのない心で生きるように精進します。

世界は自我を張るから苦しんでいることを観察して、

自我を張らない心で生きるように精進します。

世界は見栄を張るから苦しんでいることを観察して、

見栄を張らない心で生きるように精進します。

世界は一切の現象は無常であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は無常であると認めて生きるように精進します。

世界は一切の現象は苦であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は苦であると認めて生きるように精進します。

世界は一切の現象は無我であると気づかないので苦しんでいることを観察して、

一切の現象は無我であると認めて生きるように精進します。

私のこころに悩みが起こりませんように。

私のこころに苦しみが起こりませんように。

私のこころは平安でありますように。

私のこころに安らぎが現れますように。

私に悟りの光が現れますように。

Khantī paramaṃ tapo titikkhā

カンティー パラマン タポー ティティッカー

忍耐と堪忍は最高の修行であります。

Nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ

ニッバーナン パラマン スカン

涅槃は究極の幸福であります。

慈しみの拡大

私の上の方向に住んでいる全ての生命、

私の下の方向に住んでいる全ての生命、

私の前の方向に住んでいる全ての生命、

私の右の方向に住んでいる全ての生命、

私の後ろの方向に住んでいる全ての生命、

私の左の方向に住んでいる全ての生命、

全ての方向に住んでいる全ての生命は、

幸福でありますように。安穏でありますように。

怒り、憎しみ、恨みから自由になりますように。

互いに慈悲喜捨の気持ちで接しあえますように。

願いごとが叶えられますように。

心の汚れが徐々になくなりますように。

すべての生命に、苦しみを乗り越えることができますように。

 

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生きるのがつらいあなたへ ― 「死にたい」「消えたい」と思ったら

 

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